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東京地方裁判所 平成3年(ワ)12772号 判決

原告

池谷きみ

右訴訟代理人弁護士

光前幸一

被告

亡岡野昌長遺言執行者

東洋信託銀行株式会社

右訴訟代理人弁護士

茅根煕和

春原誠

主文

一  本件訴えを却下する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

一原告が別紙物件目録の一ないし四の各土地(本件各土地)につき所有権を有することを確認する。

二被告は、原告に対し、本件各土地につき昭和三五年四月一四日付け財産分与を原因とする所有権移転登記手続をせよ。

第二事案の概要

本件は、原告(亡岡野昌長の先妻)が、昭和三五年四月一四日亡岡野昌長から離婚に伴う財産分与として本件各土地の譲渡を受けたと主張して、亡岡野昌長の遺言執行者である被告に対し、本件各土地の所有権確認と所有権移転登記手続を求めている事案である。

一(争いのない事実)

1  亡岡野昌長は、昭和六三年九月七日付け公正証書遺言(本件遺言書)によって、本件土地一、二を長男岡野昌樹に、本件土地三、四を次男岡野武彦に相続させると遺言し(本件遺言)、平成三年七月八日死亡した。

なお、本件各土地の登記名義は、亡岡野昌長のままである。

2  被告は、本件遺言により遺言執行者に指定され、その就職を承諾した。

二争点

被告が本件訴えについて当事者適格を有するか否か。

(被告の主張)

本件遺言は、特定の遺産(本件各土地)を特定の相続人(岡野昌樹及び岡野武彦)に相続させるものであり、何らの行為を要せずして、本件各土地は、被相続人(亡岡野昌長)の死亡の時に直ちに相続により承継されたことになり、被告は、本件土地につき相続を原因とする所有権移転登記手続を行うことができず、遺言執行の余地がないのであるから、被告は、本件訴えについて当事者適格を有しない。

(原告の反論)

1 (本件各土地の所有権の存否の確認の合一確定の必要性)

本件各土地の所有権が原告にあるか否かの確認は、亡岡野昌長の全相続人(別紙相続関係図参照)の利益に影響するので、亡岡野昌長の全相続人を相手に合一的に確認する必要があり、その意味で被告に当事者適格が認められるべきである。

2 (亡岡野昌長から岡野昌樹及び岡野武彦に対する所有権移転登記手続は、被告の職務)

原告は、本件各土地の登記名義人の亡岡野昌長からの所有権移転登記手続を求めているところ、本件遺言書には、右登記手続に関する記載がないため、右登記義務を負担するのは、亡岡野昌長の全相続人となる。したがって、右登記義務は、被告の職務の範囲であり、被告が当事者適格を有する。

3 (被相続人の死亡の時に直ちに相続により承継したとはいえない「特段の事情」の存在)

本件遺言は、原告が亡岡野昌長から離婚に伴う財産分与として譲り受けた本件各土地を岡野昌樹及び岡野武彦に相続させ、その余の全財産を亡岡野昌長の後妻岡野政子(岡野政子)に相続させ又は遺贈し、かつ、その余の相続人から遺留分減殺請求があれば、岡野昌樹及び岡野武彦が弁償の責任を負うという内容であり、当初から本件遺言書をめぐって相続人間で紛争が予測されるものであり、本件遺言は、岡野昌樹及び岡野武彦が承諾すればという前提で行われたものである。したがって、本件遺言により、岡野昌樹及び岡野武彦が本件各土地を、被相続人の死亡の時に直ちに相続により承継したとはいえない「特段の事情」(最高裁平成三年四月一九日第二小法廷判決参照)がある。したがって、被告には、遺言執行者としての職務が残っており、本件訴えにつき当事者適格がある。

4 (遺留分減殺請求による本件遺言による「遺産分割方法の指定」の失効)

亡岡野昌長の相続人である長女浩子、次女俟子、三女晃子、四女征子(長女ら四名)は、岡野昌樹、岡野武彦及び岡野政子に対し、遺留分減殺請求をした。したがって、本件各土地は、亡岡野昌長の相続人間で遺産分割を行わざるを得ないから、本件各土地についての本件遺言は、右遺留分を侵害する限度で失効し、右失効した部分については被告の管理に帰属することになり、少なくともその限度では、被告は当事者適格を有することとなる。

第三争点に対する判断

一遺言執行者の職務の範囲

1 遺言執行者は、民法一〇一二条一項にその職務権限が定められているが、遺言の執行に必要な一切の行為をする権利義務を有する反面、その権利義務もその執行に必要な限度に限定される。

ところで、本件のように、特定の遺言を特定の相続人に「相続させる」趣旨の遺言は、遺言書の記載から、その趣旨が遺贈であることが明らかであるか又は遺贈と解すべき特段の事情がない限り、その遺産を当該相続人に単独で相続させる遺産分割の方法が指定されたものと解すべきである。そして右の趣旨の遺言があった場合には、その遺言において相続による承継を当該相続人の受諾の意思表示にかからせたなどの特段の事情がない限り、何らかの行為を要せずして、被相続人の死亡の時に直ちにその遺産が当該相続人に相続により承継されるものと解すべきであるとされている(最高裁平成三年四月一九日第二小法廷判決参照)。

したがって、特定の不動産を特定の相続人に「相続させる」趣旨の遺言がある場合には、前記のような特段の事情がない限り、当該相続人は、単独で相続を原因とする所有権移転登記手続ができることとなり、遺言執行者は、登記義務者とはならず、その不動産について遺言執行の余地はない。

2 これを本件について見ると、本件遺言は、本件土地一、二を長男岡野昌樹に、本件土地三、四を次男岡野武彦に相続させる内容となっているので、右のような特段の事情がない限り、岡野昌樹及び岡野武彦は、それぞれの土地を亡岡野昌長の死亡の時に直ちに相続により承継し、それぞれ単独で相続を原因とする所有権移転登記手続ができることとなり、被告は、本件各土地に関して遺言執行の余地もなく、本件土地に関して権利義務を有せず、本件訴えにおいて、被告としての当事者適格を有していないこととなる。

二そこで、原告の反論について、順次、検討する。

1  原告の反論1(本件各土地の所有権の存否の確認の合一確定の必要性)について。

原告主張のとおり、仮に本件各土地の所有権の存否の確認は亡岡野昌長の全相続人を相手に合一的に確認する必要があるとしても、直ちに、遺言執行者である被告に当事者適格が認められることにはならず、被告に当事者適格が認められるか否かは、当該法律関係について、被告が遺言執行者としての職務権限を有しているか否かにかかっている。

したがって、原告の右主張だけから、被告に本件訴えにつき当事者適格を認めることはできない。

なお、原告は、亡岡野昌長が「相続させる」文言の遺言をしながら、敢えて遺言執行者を選任したのは、遺言執行者に本件のような紛争の管理に当たらせるためである趣旨に出たものであると主張しているが、本件遺言書(〈書証番号略〉)には、そのような趣旨に解するのが合理的であるともいえない。

さらに、本件遺言に、前記一の1の「特段の事情」がないことは、後記3及び4のとおりである。

2  原告の反論2(亡岡野昌長から岡野昌樹及び岡野武彦に対する所有権移転登記手続は、被告の職務)について。

本件のような「相続させる」趣旨の遺言がある場合には、前記のような特段の事情がない限り、当該相続人は、単独で相続を原因とする所有権移転登記手続ができることとなり、遺言執行者は登記義務者とはなり得ないことは、前記一の1のとおりである。

したがって、本件のような「相続させる」趣旨の遺言がある場合に、まだ本件各土地に関する相続登記が未了で、被相続人に所有権の登記が残っているからといって、それだけの理由で、被告に本件各土地の所有権移転登記手続について職務権限があることにはならない。

なお、本件遺言書には、右登記手続に関する記載がないため、右登記義務を負担するのは、亡岡野昌長の全相続人というべきであり、したがって、右登記義務は被告の職務の範囲であるとする原告の主張は、独自の見解であり、理由がない。

さらに、本件遺言に、前記一の1の「特段の事情」がないことは、後記3及び4のとおりである。

3  原告の反論3(被相続人の死亡の時に直ちに相続により承継したとはいえない「特段の事情」の存在)について。

証拠によると、次の事実が認められる。

(1) 〈書証番号略〉(契約書)には、原告が亡岡野昌長と協議離婚した際、亡岡野昌長から財産分与として本件各土地を譲り受けた旨の記載がある。

(2) 本件遺言書は、本件各土地を岡野昌樹及び岡野武彦に、その余の全財産を亡岡野昌長の後妻岡野政子(岡野政子)にそれぞれ「相続」させ、その余の相続人である長女ら四名には何も相続させない旨の内容となっている(〈書証番号略〉)。

(3) また、本件遺言書には、岡野昌樹、岡野武彦及び岡野政子以外の相続人から遺留分減殺請求があれば、岡野昌樹及び岡野武彦が弁償の責任を負うという内容も含まれている(〈書証番号略〉)。

以上の事実によれば、確かに、本件遺言書をめぐって相続人間で紛争が予測されるものであることは、原告主張のとおりである。

しかし、本件遺言書が相続人間で紛争が予測されるものであるからといって、本件遺言執行者である被告に特別の職務権限が認められるものではなく、原告のこの主張も理由がない。

なお、右(1)の事実が真実としても、そのようないわば問題を抱えた本件各土地を亡岡野昌長の死亡により当然に岡野昌樹及び岡野武彦が相続し、後は、右各土地について紛争が発生すれば、岡野昌樹及び岡野武彦を一方の当事者として解決すべきこととなり、相続人全員を相手とする必要はない。

次に、(2)及び(3)の事実から、長女ら四名から岡野昌樹、岡野武彦又は岡野政子に対し、遺留分減殺の請求がされる可能性があると思われるが、右請求がされれば、右請求をした当事者と請求された相手方との間で、紛争を解決すればよいだけのことであり、遺留分減殺の請求がされる可能性があるという理由で、被告に遺言執行者としての職務権限が認められるわけではない。

また、本件遺言書には、遺留分減殺請求権の相手方を岡野昌樹及び岡野武彦に限定する旨の記載が含まれていることは、右(3)のとおりであるが、右記載には、右両名を拘束する効力はなく、本件遺言は、右記載があるからといって、岡野昌樹及び岡野武彦が承諾すればという前提で行われたものである旨の原告の主張は理由がない。

したがって、右記載があるからといって、本件遺言に、前記一の1にいう「特段の事情」があるとは認められない。

4  (遺留分減殺の請求による本件遺言による「遺産分割方法の指定」の失効)

原告主張のとおり、本件遺言が長女ら四名の遺留分を侵害しているとして、右四名の内の全部又は一部が岡野昌樹、岡野武彦又は岡野政子を相手に遺留分減殺請求をしたとしても、本件遺産分割の方法の指定は、遺留分を侵害する限度で失効することとなり、減殺請求の対象になった財産は遺産に帰属し、遺産分割の対象となるが、その場合、本件各土地についての遺産分割の協議は、減殺請求をした者と請求の相手方との間で行えば足り、本件遺言執行者である被告が関与する余地はない。

したがって、仮に遺留分減殺請求がされたとしても、被告に遺言執行者としての職務が発生することもない。

したがって、本件遺言が長女ら四名の遺留分を侵害しているとしても、本件遺言に、前記一の1にいう「特段の事情」があるとは認められない。

三以上の次第で、原告の反論は、いずれも理由がなく、被告の主張のとおり、本件遺言は、特定の遺産(本件各土地)を特定の相続人(岡野昌樹及び岡野武彦)に相続させるものであり、何らの行為を要せずして、本件各土地は、被相続人の死亡の時に直ちに相続により承継されたことになり、遺言執行者である被告は、本件各土地につき相続を原因とする所有権移転登記手続を行うこともできず、本件土地に関して権利義務を有せず、遺言執行の余地がないのであるから、被告は、本件訴えについて当事者適格を有しない。

(裁判官宮﨑公男)

別紙物件目録〈省略〉

別紙相続関係図〈省略〉

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